“holly” と、いい線について

このミニバッグ holly の制作は、「月のような丸いバッグ」という漠然としたイメージから出発しました。
私は、満月の夜空を眺めたり、オードリーヘップバーンが歌う Moon River を聴いてみたり…とイメージを膨らませてゆきました。
そして、大まかなデザインが固まり、型紙を起こす作業になりました。バッグのシルエットを決める大切な部分、その曲線をフリーハンドで描いてゆきます。月のような美しさをたたえたバッグ… 膨らんだイメージをひとつの曲線に落とし込むのは、とても難しい作業でした。なかなかいい線が描けず、描いては消しを繰り返していた折、ある人物が私の脳裏に浮かんできました。

それは、私が小学生のときの図工の先生です。年齢は50才前後だったでしょうか、小柄で痩せていて、白髪混じりのおかっぱ頭に口髭という、独特な風貌をしていました。油絵を描く方で、一度だけ作品を見せてもらったのを覚えています。
ある日の図工の時間、授業の冒頭での、ちょっとした遊びのようなものだったと思います。先生は白い紙を配り、周りにあるもの、何かひとつを選んで描きなさいと言いました。ただ、一つ条件があり、それは、描いている手元を一切見ないこと。つまり、目線は対象物に固定したまま、手の感覚だけで見ているものを描く、というものでした。
そこで私は、先生を見つめたまま、鉛筆をゆっくりおろしてゆき、紙に触れたところをおかっぱ頭の頂点と決めました。そこから一筆書きの要領で、髪、左耳、左目、鼻、と順番に描いてゆきました。そして、口髭まで描き終えたところで、どんな絵が描けているのか見ずにはいられなくなり、手を止めました。そこには、各パーツは一応判別できるものの、位置関係のおかしな歪んだ線が散らばっていました。当然、周りの誰ひとり上手に描けた者はおらず、そのまま授業はメインの課題(何だったかは忘れました)に移ってゆきました。
しばらくして、班ごとに分かれたテーブルを周っていた先生は、机の端に置いていた私の描いたズレズレなおかっぱと口髭を見て、言いました。
「うーん、いい線を描くねぇー、きみは…」
その言葉は、私に向かっているというより、感嘆のつぶやき、独り言のようなニュアンスで聞こえ、それがかえって本当の褒め言葉として心に響きました。と同時に、この歪んだ線が何の絵なのか、先生に伝わっているからこその言葉だと気づき、嬉しさとともに、驚きと照れ臭さ入り混じる、なんとも言えない気持ちになったのを憶えています。

手元を見ないことで、絵から配置、バランスという要素が取り除かれ、純粋に線のみを描くことができる。線の本質とは?という問いかけだったのでしょうか。そして、そんな線も何かを伝える表現として成立することがある、と言いたかったのでしょうか。もちろん小学生の私は、そこまで考えがおよぶことはありませんでしたが、上手下手という概念ではない「いい線」というものを、このとき初めて感覚的に知ることができたように思います。

子供の純粋で素直な心で描いた線が、その子自身を映し出し、「いい線」になることは、ままあるように思います。ただ、残念ながら大人になり、純粋さも素直さも見失ってしまった私には、ひたすら描いては消しを繰り返し、それ”らしき”ところを見つけ出すしかありません。
そうやって、なんとか完成“らしき”ところに至った holly 。
このバッグの制作を機に、私自身、もっといい線、もっといいシルエットの製品をつくりたいという気持ちが強くなりました。あの日の先生の問いに、私なりの答えを見つけたいと思ったわけです。

もしかしたら、先生もあの時、もっといい何かを探していたのかもしれない。あの手元を見ずに描くという不思議な課題は自分自身への問いかけの意味もあったのでは?
いま、当時を振り返ってみると、そんな風に思えてくるのです。
私の中にも、ものをつくる者として先生と共感できるものが育ってきたのでしょうか。あの時、先生が撒いてくれた種が、今ようやく芽を出したような感覚です。
感謝と懐かしさと嬉しさと、心地よい感情が込み上げてきます。

商品ページ
“holly”
https://da61.thebase.in/items/35172284